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何を言ってもしかたないが暑すぎる!殺人的な灼熱の日々だ。毎年異常気象だ、猛暑だと騒いでいるが、今年の暑さはまた一段と尋常ではないような。7月でこの有様なのだから、来月はどうなるのか空恐ろしい。先日友人の画家N氏の展覧会オープニング出席のために、群馬は高崎の近代美術館へ出かけた。どうせ高崎まで足を延ばすのならと、友人一同で展覧会&近隣の温泉に一泊という弾丸ツアーを決行したのだ。このような理由でもなければ、なかなか皆が都合を繰り合わせる機会も少なくなっている。誰しも同じような思いだったのだろう、総勢20人ほどが集まることになった。大学の同級生が中心だから平均年齢高め、おまけに性格的にも(見た目も)かなり濃〜い、爽やかとはいいがたい顔ぶれである。果たして当日は梅雨が明けて今年の猛暑が始まったその日であった。しかも暑いことでは有名な群馬。暑いのなんの、ここまでくるともはや笑えてくるというか抵抗する気もなくなり、じっと身を任せるしかない。温泉宿は市内を見下ろす山の上にあり(カーナビの中途半端な誘導にほぼ全員道に迷う)、ばっちり昭和なムード。その上修学旅行式男女別の部屋割りとあって、中高年の男子も女子も歳を忘れて」きゃっきゃとおおいに盛り上がった。じりじりと照りつける強い日差しと入道雲、濃い緑に鳥が啼く山間の宿は、そのレトロな雰囲気も相まって、夏が来れば思い出す原風景といったところ。なんだかぽっかりと懐かしい夏休みの一日を過ごしたような気がした。 子供の頃、夏休みといえば気が遠くなるほど時間がたっぷりあって、毎日わくわくしていたものだ。特に小学生低学年の頃は、母方の実家である熊本の田舎に行くのが最大の楽しみだった。祖父母の住む熊本の家は典型的な古い農家で、夏休みになるとそこに孫たちが集合するのだ。実家に同居する孫たちも含めてその数なんと13人。母は女ばかり7人姉妹に育ち、女系の系統なのかいとこたちも圧倒的に女子の数が優勢だ。ウチの両親もそうだったけれど、まず夏の初めに子供たち(我が家は3人兄妹)を連れて来て一緒に数日間を過ごした後、子供を預けたまま自分たちだけいったん帰ってしまうのだ。そして夏休みの終わる頃に、またピックアップに来ることになっていた。つまり、田舎の家に祖父と祖母、同居する伯母夫婦、そして10人あまりの子供たちという夏限定の大家族暮らしをするわけ。預けていく方も、預かる方も実に鷹揚というか、今では考えられないようなおおらかさだ。さて、この熊本の田舎暮らしは、一応都会っ子である私たちにはこたえられない夢のワイルドライフだった。絵に描いたような田舎家、藁葺き屋根の家の玄関は土間、台所の煮炊きはもちろん竃、風呂も(九州地方では通常仕様の)五右衛門風呂である。昼でも薄暗い奥の間や、大きな長持ちのある納戸、味噌や高菜漬けの瓶が並ぶ土蔵、その昔は蚕を飼っていた屋根裏の蚕棚もあり、家の中でかくれんぼもできた。庭先には豚小屋、鶏舎もあった。朝早くから日が暮れるまで、いとこたちと川遊びや探検ごっこと夢中で遊んだ。家の周りの水路の石垣の隙間には小さな蟹が棲んでいて、糸の先に小石を結んだもので釣り上げたり。川の橋の下に潜むナマズを手ぬぐいですくったり。豚や鶏の餌やりや小屋掃除の手伝い、芋掘りにスイカやトウモロコシ採り、梅干し作りやみょうがの葉で巻く団子作り、お盆の準備や送り火に盆踊りなどなど、昔ながらの生活も肌で感じることができた。夜、庭に縁台を出して仰向けに寝転ぶと、真っ暗な空に星がぎっしりとまたたき、天の川も手に届きそうに見える。田んぼ脇の用水路のあたりには蛍が飛び交っていた。寝る時は一番広い部屋に大きな蚊帳を吊り、その中に布団を敷き詰めて雑魚寝。廊下の突き当りの木戸の手洗いが、夜にはちょっと怖かった。今思えば、三度三度の食事の支度、伯母たちはさぞやたいへんだったことだろう。米や野菜は自給自足が基本、一汁一菜の質素な食卓だったと記憶しているが、ふだんは好き嫌いを言って親を困らせていた私たちなのに、田舎の家では何一つ文句を言わずに食べていたと思う。毎朝鶏舎に卵を採りにいくのは子供たちの仕事、おやつはふかし芋やトウモロコシ、井戸水で冷やしたマクワウリにスイカ、もぎたてキュウリにトマト、天日干し中の梅干しをつまみ食いして叱られたことも。歩いて10分くらいのところにちり紙やパンを買いに行くよろず屋があり、その店先で食べる白蜜がけのかき氷「みぞれ」のなんと美味だったことか。うすピンクのぼかしが入った花びら型のガラスの器が、子供心に高級そうに見えたっけ。ある時どういうタイミングだったか、今夜はごちそうなのだといって、祖父が鶏を1羽しめたことがあった。首を切った鶏は血抜きのために土間の天井から逆さ吊りにされた。鶏をしめるのを目撃するのは、もちろん初めてであり、子供たちにとってはかなりショッキングな出来事だった。いとこのひとりはこの時の光景がトラウマになって、以来鶏肉が苦手になってしまった。私はといえば、じいちゃんのいう「ごちそう」とはどんなものなのだろうと(鶏の丸焼きかなにかを想像して)期待していたのにもかかわらず、出てきた料理が鶏肉入りの筑前煮(この地域ではがめ煮という)だったので、ひどくがっかりしたのを覚えている。田舎の家にはテレビもなければ、とりたてて玩具も絵本もなく、ひたすら想像力と創造力を駆使して遊んでいた。絵本や紙芝居は自分たちで作るものだった。それよりも、ただそこらを駆け回るのに忙しかったけれど。こうして存分に田舎の夏を過ごすと、両親が迎えにくる頃には都会っ子もすっかり日焼けし、地元の子供と見分けがつかないくらい野生化することとなる。東京に戻りたくないと駄々をこねるも、なんとか親に説得されて渋々連れ戻されるのが常だった。この田舎で過ごした夏の数週間のなにもかもが、子供時代における貴重な思い出として、細胞レベルで私の中に刻み込まれている。この体験がなかったら、今の私の心は違う形になっていたかもしれない、と思う。草むらでバッタを探し回っている時の草いきれ。鎮守の森の蝉時雨。米糠や藁の匂いのするひんやりした土間。広縁で種を飛ばしながら食べたスイカ。冷たい麦茶をかけたお茶漬けの味。お盆提灯のぼんやりした灯り。お寺の横を通りかかる夕暮れの帰り道の心細さ。年長のいとこに手をひかれて聞いた祭り囃子。線香花火が燃え尽きた後の煙の匂い。遠い遠い夏の日の、大切な記憶の宝物だ。 ※写真は熊本の家で一同集合して撮った記念写真。夏の着物に扇子、と正装した祖父母の姿が。 |
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